サッカー少年037

今回は、サッカーイレブン[1982年9月号]より、第6回全日本少年サッカー大会の地方予選特集をご紹介します。第6回全日本大会の本大会については既にご紹介済みなので、それ以前の地方での予選の模様です。

※本誌の名称については、正確には、創刊号の1971年5月号~1988年1月号までは「イレブン」、1988年2月号~最終号1988年11月号までは「サッカーイレブン」とするのが正確ですが、とくに区別する必要はないように思いますので、本サイトでは適宜混用させていただいております。
イレブン誌は、7、80年代~の主要なサッカー専門誌である「サッカーマガジン」「サッカーダイジェスト」「STRIKER」と比較して、割と少年サッカー関係にページを多く割いてくれたサッカー誌だという印象があります。Wikipediaの「STRIKER」誌の説明には
国内サッカーを主にあつかう『サッカーマガジン』、少年サッカーを主にあつかう『サッカーダイジェスト』、海外サッカーを主にあつかう『イレブン[1]に次いでの専門誌となり、
とありますが、個人的には(ん…?)という感じです(私の感覚では、ダイジェスト誌は少年サッカーにあまりページを割かない方だと感じます)。
ともあれ、本号には、地方予選を勝ち抜いた、本大会への出場決定全48チームのプロフィールを紹介した特別付録「集まれ!サッカー少年」が付いているうえ、本誌上にも白黒とはいえ少年サッカーの地方予選に10ページものページを割いてくれています。この特別付録は同誌の9月号に何度か付きましたが、興味のない人には割と捨てられてしまいがちなのか、付録欠品なしの古本の入手はなかなか難しくなっています。

イレブン9月号特別付録「集まれ!サッカー少年」

イレブン9月号本誌

全国各都道府県で開催された地方予選のうち、東京・神奈川・茨城・山梨・大阪・兵庫の模様を伝えています。

単身ブラジルに渡った少年

9歳のときに単身ブラジルへのサッカー留学に挑んだ少年について3ページの特集があります。
’82年の時点で14歳ということですから、9歳時には’77年でしょうか…。
今や海外のクラブチームで練習しプレーする日本人少年も珍しくはなくなってきていますが、1977年当時にたった一人でブラジルに渡るというのはどれほどのプレッシャーがあったかと思うと言葉もありません。

なによりも、彼に限らず、多くのサッカー少年たちがこんなふうに夢を追いかけても、その夢を手にすることができるのはほんの一部に過ぎないというスポーツの世界の厳しさが胸に迫ります。
全日本少年大会優勝チームのメンバーであっても、その後サッカー界に名前を残すことはめったにありません(逆に言えば、本大会に出場できなかったチームからプロ選手を輩出することもあるわけですが)。
もちろん、サッカーの夢を手にすることができなくても、それを追いかけた経験が彼のその後の人生を豊かで実りあるものにするなら何も悲しむべきことなどないと思いますが、実際にはそんなに綺麗事ばかりではないでしょう。
それだけに、少年関係の記事で優秀選手などに選ばれた少年の名前が、その後サッカーやフットサルのプロ選手や優れたサッカー指導者などに列せられているのを稀に発見すると、胸が熱くなります。

おまけ

当時、こんな番組をやっていたらしいです

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