今回は、サッカーマガジン[1991 No.388/8月号]および〃[1991 No.389/9月号]、〃[1991 No.390/10月号]の3誌をまとめ、【サッカー少年019】に引き続き第15回全日本少年サッカー大会の地方予選と全国大会の記事を中心にご紹介します。
その他、「第3回釜本杯サッカー・マガジン少年大会」や「釜本サッカー塾」の記事もあります。
10月号についてはなぜかページによって写真や印刷の出来にムラがあり、写真が異様に暗かったりするのがちょっと残念ですが、少年関係の取扱が多いので見ていて楽しいです。
第15回全日本少年サッカー大会
8月号から~静岡県予選決勝
8月号では、静岡県での予選を白黒見開き2ページで紹介しています。
2年連続4度目の出場を狙う浜松JFC 対 2年ぶり14回目の出場をかける清水FCの戦いです。
戦いを制したのは浜松JFC。立ち上がりからペースをつかんだ浜松JFCが前半に2得点を挙げ、後半の猛攻で清水FCが1点を返すも逆転ならず。
9月号から~東京・神奈川・京都予選決勝
東京予選は府ロクSCが3-1でわらごま精心SCを下し全国への切符を手にします。
神奈川予選は原FCが4-1で辻堂FCを下します。
京都予選は城陽が葵を4-1で下します。京都予選の写真はなぜか印刷があまりよくありません…。
出場48チーム決定
9月号には、全国への切符を手にした47都道府県代表48チームの集合写真が掲載されています。
10月号より~第15回全日本少年サッカー大会
1991年7月29日~8月3日、よみうりランドサッカー場
決勝
栃木県代表・下都賀ジュリアンズ 対 広島県代表・高陽FC の戦い。
お互いに猛攻をかけるも試合は延長戦にもつれ込み、延長戦前半4分、下都賀のエース毛利くんのシュートが左ポストに当たりつつもゴールに吸い込まれ、これが決勝点となります。この年3月に結成されたばかりという下都賀ジュリアンズが、初出場で見事全国制覇を成し遂げました。
【サッカー少年019】もぜひ併せてご覧ください。
3位決定戦
FC浦和(埼玉)対 蒲町SS少年団(宮城)の戦い。蒲町は準決勝以降は本来の良さを出し切れず、6-0で浦和が制します。
準決勝
決勝トーナメント2回戦
思い出のページ
決勝トーナメント1回戦
8月1日午後の決勝トーナメント1回戦は、激しい雷雨の中で行ったと書かれています…!そのせいか写真も暗めで黒つぶれが目立ちますが、雰囲気だけでもぜひ。
予選リーグ
1組
2組
3組
4組
5組
6組
7組
8組
総評
本誌では、今大会について3ページに亘り総評記事を掲載しています。
メモリアル・ショット
「メモリアル・ショット⑧ この瞬間…」という記事では、1982年10月号に掲載された第6回全日本少年サッカー大会の写真を振り返っています。全日本少年サッカー大会に出場した(または出場を目指したものの地方予選で悔し涙を飲んだ)少年たちが、こうして日本のサッカー界を支える人材になっていった例は数多くあります。
第3回釜本杯サッカー・マガジン少年大会
10月号より、第3回釜本杯サッカー・マガジン少年大会をご紹介します。第1回と第2回では東芝が協賛についていましたが、第3回ではカルピス食品工業などが協賛となっているようです。その後もPanasonicなど様々な企業が協賛してこの大会は開催されていきます。
1991年7月22日~25日、長野県菅平高原にて。
出場チーム募集記事
8月号には出場チーム募集の記事が出ていました。掲載の写真は前年の第2回のときのものですね。
その他の記事から
ぐるっと全国 少年クラブ・ルポ
この時期のマガジン誌に連載されたシリーズ記事で、全国の少年サッカーチームを取材したルポです。黄色の紙に白黒で印刷されており、写真はもちろんユニークな指導方法などテキストもとても面白いです。
8月号から~レポート51
神奈川県横浜市・日産FCプライマリー(新子安)を取材しています。
9月号から~レポート52
大阪府高槻市の高槻松原サッカークラブを取材しています。
10月号から~レポート53
千葉県東金市のときがねフットボールクラブを取材しています。
釜本サッカー塾~小樽/福知山
「釜本サッカー塾」もこの時期のサッカーマガジン誌のシリーズ記事で、1987年7月号を初回としてほぼ毎号のように掲載されていました。把握している限りでは、恐らくこの1991年9月号が残念ながら最終のようです。
釜本邦茂氏が全国各地で少年たちを対象にサッカー塾を開く素晴らしい取り組みです。強力な協賛がついているためかカラーで掲載されるのも嬉しいですね!
というわけで、9月号より、第49回小樽スクール(6/12)、第50回福知山スクール(7/7)の模様です(8月号・10月号には掲載はありません)。
コメント
SORA様、更新を心待ちにしておりました!
「サッカー少年42・43」とまた、素晴らしい画像群をご披露下さり、感動です。
自分もその昔、全国大会を観に読売ランドに出向いたことがあります。準決勝・決勝戦は、当時日テレ系で放映されていて何度か観ていましたが、矢張り生で活躍するサッカー少年達の格好良さは圧巻でした。
第14回大会で、京都の城陽SCSが優勝した年で、10番を付けていたキャプテンの少年の妙技は素晴らしかったですね。
また、色とりどりのユニフォームに身を包み、何より健康そうに日焼けした短い短パン姿の少年達は、Majestic12様も仰っている通り、美の極致です。
今後もSORA様の新たな記事を楽しみにしています。
わんこ様 いつもありがとうございます!
きちんとお礼をお伝えしておらず申し訳ありません。サッカー少年番外編6の詳細不明の動画、「料理少年Kタローの実写版」とご教示いただきありがとうございました!記事本文にも付記させていただきました。
よみうりランドで実際に全少をご覧になったことがあるとのこと、すごい!羨ましいですw
14回大会というと、どういうわけか関西勢が大躍進だった年ですね!30年以上も前の大会ですが、今でも思い出されるということはよほどキャプテンの少年は素晴らしい技術の持ち主だったのでしょうね。写真のご紹介だけではなかなか伝わらないところも多いので、記憶の中に焼き付いているというのはとても羨ましく感じます。
14回大会に関しては、サッカーダイジェスト誌とSTRIKER誌も所有していますので、いずれ記事にしたいと思います(ただいずれも白黒ページのみなのが残念ですが…)。
’90年代前半のサッカー少年たちのユニフォームはまさに全盛期と思います。95年頃からハーフパンツタイプに急速に置き換わっていってしまいますが、私の中ではサッカー少年のフォルムはいつまでもこの時代が理想です。
これからもぼちぼち更新していきますので、どうぞよろしくお願いいたします☆
モノクロからも十分伝わる魅力と美しさには目を奪われますが、カラーでは一層その美しさが際立って、何もかもが神々しく圧倒されてしまうかのような感動で胸が熱くなってきます。
やっぱりこの頃のサッカー少年のユニフォーム姿は本当に魅力的ですね。
あまりにも美しすぎます。
本当に綺麗で、可愛くて、カッコいい!
「釜本サッカー塾」のような素晴らしい取り組みも、今では体系化されたクラブチームを中心に元日本代表OBなどが同様のイベントを行っている様子が取り上げられていますが、この時はまだJリーグ発足以前の時代ですから、間近に「プロ」の実力を感じ、そのレクチャーを受けることができる貴重な体験に際会した少年たちの喜びと体験はとても大きいものがあっただろうなと感じます。
そして、中でも目を引くのがキングカズの貴重な姿です。
間もなく発足するJリーグより日本サッカーの新たなる誕生を期する歴史的な一時代を築き上げることになるヒーローが、その偉大な産声をあげる前の未来と希望を宿した姿ともいえるでしょうか。
以前にも感じたことですが、こちらでは時を越えて「今まさに」というような清涼なリアルタイム感を体験できるような「時代の追体験」をテーマパークのように体感できる不思議なワクワク感を楽しむことができます。
「キレイ・カワイイ・カッコいい」の三拍子そろった美しさが輝くサッカー少年らの美的魅力はもちろんですが、同時に時間と空間がつながったリアルな感動まで一緒に堪能できるここは本当に素敵な世界であると思います。
この至極の美を体現するサッカー少年らとSORAさまに心からの敬意と賛美を捧げます。
いつも素敵な美と感動をありがとうございます!
Majestic 12様 いつもありがとうございます。
Jリーグ開幕の直前にあたるこの時期、どんなものでもそうですが、萌芽期というのは独特の希望と活力に満ちたある種のパワフルさが感じられて各サッカー誌も見ていて楽しいです。
カズはやはり当時からかなり注目されていたようで、お若い姿が随所で特集されています。
ここでは紹介しませんでしたが、Jリーグ発足に向けて各チーム名の公募などが行われ、鹿島アントラーズなど次々に新しいチーム名が決まっていっている様子を書いた記事なども見られ、感慨深いものがあります。
前の記事へいただいたコメントで話題になりました勝利至上主義に関連して、こんな記事を見つけました。
https://jr-soccer.jp/2017/12/22/post57038/
全日本少年サッカー大会はやはり「勝ちを目標にした競技会」として始まったことがわかります。一方で、サッカー少年013でご紹介したように「「全日本少年サッカー大会は、本来サッカー少年団でプレーする小学生たちを一同に集め、サッカーの正確な技術を身につけさせる目的で始まった」と仰っている有識者もいらっしゃり、様々な思惑と理想が入り交じりながら立ち上げられたものだったのだと実感します。
以前にもちょっと触れましたが、本大会の50周年に当たる2026年には、JFCにはぜひそういった歴史も(もちろんたくさんのきれいな写真も笑)紹介した記念誌を発刊していただきたいものですね!
SORAさま、こちらこそいつもありがとうございます。
おっしゃる通り、新たに「これから生まれる」という現在から未来へ向けての躍動的希望と明るい熱量がみなぎる様子は分野や領域を選ばず世の中と時代を清新なあたたかさに包んでくれますが、この「美のサンクチュアリ」でも当時のそうした麗しくも明るい素敵な希望が満ち溢れています!
そうした日本サッカーの新しい時代と世紀の到来を告げるかのように、スーパースターとしての運命を背負った三浦知良選手が、いまも現役を続けていてくれているのは本当にうれしいものですね!
有言実行「60歳まで現役」をぜひ実現してほしいと願っています。
SORAさまのお話にある「J発足に向けて各チーム名の公募などが行われ、次々に新しいチーム名が決まっていった」というのは失念しておりました。
「みんなで一緒につくりあげていったJリーグ」という連帯は、何よりもサッカーを通じて育まれた紐帯となって現在に至っているのだろうなと思うと、同じく感慨深いものがあります。
わんこさまのように、当時「読売ランドでの直接観戦」という大変素敵な体験をお持ちの方のお話もとても興味深いものがありますね。
当時のサッカー少年のカッコよさ、綺麗さ、可愛さ。
その神々しいまでの圧倒的な美しさを前に、至極の美術を拝した際の美的体験に比する恍惚とした感動に包まれていたのだろうなと思います。
「勝利至上主義」に関する記事までご紹介していただきありがとうございます。
SORAさまが以前に取り上げてくださったトピックスの中でも全日本少年サッカー大会の意義について触れられていましたね。
ご考察の通り、各々の様々な思惑と理想が混淆して立ち上げられていった様子がよくわかりました。
勉強になります、本当にありがとうございます。
やはりとても難しいテーマであるのだとあらためて考えさせられました。
高校野球も学校の「体育教育」から、事実上の「プロ球団のオーディション」となっていますし、高校サッカーにしても同様の性格を持つものになっていますし。
やはり結果的に「勝敗」を決することを前提とするスポーツという分野では、どうしても「勝てる人材(選手)」の育成と選抜にウエイトがかかるのも致し方ないのかもしれませんね。
私も50周年記念誌の発刊を熱望します!
「10年区切りの5冊セット」で、盛りだくさんのグラビアにあふれた写真集のような笑
とにかく4年後の記念すべき年に、みんなで想いを寄せ合っていきたいものですね!